【3.11】できることはあの日を風化させないこと、「備える」こと。
こんにちは。
今日は3月11日。
東日本大震災の日。
もう10年の年月が経ったそう。
発災の2時46分にはささやかながら黙とうをしました。
SNSを見ていても3.11関連のことが多く、様々なことが語られています。
自分の中でもあの経験、感覚を風化させないようにあの日のことを思い出します。
当時中1で国語の授業中。
揺れを感じたときは立って発表か何かをしていた記憶が。
立っていると揺れの感じ方が弱いので、他のみんなのざわつき具合に驚きました。
やや髪の毛の薄い国語の先生に机の下に隠れろと言われ、校庭に避難をしろとの放送で外に避難。
みんな一斉に廊下に出てきてうるさいし動きづらい。
当時学級委員だった私はなぜかやたらと落ち着いていて、
「静かに落ち着いて!」と叫んで正義感を出してみたり。
そうすることで自分も落ち着こうとしていたのかも。
校庭に出ると隣の女の子はずっと泣いていて、
「まだ揺れてる、まだ揺れてる」と。
学校の二階にあったプールからは揺れで水があふれていました。
やばいのかなあと思いつつも、高台の校庭から見える周りの住宅は壊れていないのを確認して安心した記憶があります。
どういう運びで帰宅することになったのかは忘れましたが、家が近かったので普通に帰らせてくれたのかも。
家に帰ると、部屋の中が割とぐしゃぐしゃになっていてびっくり。
部屋にいるより車のほうが安全そうだということで、車でラジオを聞いていました。
ラジオで連呼されていた「津波」の「津」が津田と漢字が同じで、なんか変な感覚になったのを覚えています。
事の重大さに気づくことになったのは割と後になってから。
テレビで何もかも波にのまれていく様子を見ても、非現実すぎてすぐは受け入れられず。
死者や行方不明者の数の報道が増えるにつれ、恐怖が増していきました。
市役所かどこかに安否確認の掲示板があり、そこに大切な人を探しに行く被災者の方をテレビで見て、中一の私は胸が痛くなりました。
フジテレビの安藤優子アナ、当時の枝野官房長官、ACのCM。
忘れもしない、あの日々。
緊急地震速報に慣れてしまうほどあの音を聞きました。
あれから10年経っても、未だ避難生活を送る人は4万人を超えるそう。
行方が分かっていない方も大勢います。
東北の方が10年前と同じ生活を送れる日が来るまで、3.11を風化させてはいけない。
いや、その先もずっとか。
自然災害に対して我々ができることは「備える」こと。
遠くない未来に首都圏直下型地震、南海トラフ巨大地震がくると言われています。
そこでの被害を最小限に抑えるためにも、3.11を風化させずにしっかりと一人一人が事実を知って備えることが必要です。
コロナが落ち着いたら東北に遊びに行こう。
津田ふみや