【学校に行かないを考える】不登校支援が間違った方向へ行かないように。

こんにちは。

 

いよいよ今日からオリンピックの競技がスタート。

開会式に先立って、朝イチからソフトボールの試合をやっていました。

オーストラリア相手に5回コールド勝ちと、幸先の良いスタート。

日本選手団としても白星第一号。

 

なでしこジャパン、サムライブルーと続いて欲しいです。

 

オリンピック関連のブログは明日以降またどんどん増えてくると思うので今日は別の話を。

 

最近自分の考えを語り倒すことがないなあと思っていたところ、こんな記事に出会ったので「学校に行かない」ということについて考えて書いてみる回。

 

実は今周りに元々「不登校」だったという友人や知り合いは結構います。

私自身は幸い学校に通えていたので不登校について深く考えたこともなく、なんとなく他人事でした。

 

 

少なくとも今の日本の教育のシステムでは、私は学校は行った方がいいと思います

 

私の10代の思い出や経験はほとんど学校の中、もしくは学校でできた友達とのものです。

そのひとつひとつの経験が今の私を作っていると思います。

勉強も、いくら塾に通っていたとは言え学校でもいろいろなことを教えてもらいました。

常識や教養の基盤は確実に学校教育にあります。

勉強以外のこと、例えば集団で学校生活を送る中で、社会で他人と生きることとはどういうことか、など、さまざまなことを学びました。

 

 

学校に行ったほうが良いというのは

それはなにも、「いじめ」とか、「苦痛」とか、さらに言えば「自殺」などそんなことを考えながら我慢しても行った方がいいということではありません。

 

命より大切なものはない。

 

そうはわかっているはずなのに、不登校という道を選ぶと、私が上に書いたような経験や学びができないのが今の日本の教育システム。

 

本人が悪くない理由でも不登校になれば急に突き放されてしまうシステムはおかしい。

 

学校の友人と交わらずに家でも授業が受けられるようなシステムは作れる。

また、自身の学校の友人以外の同じような状況の人たちと交流の場も作れる。

 

その2つができれば普通に学校に通う生徒と全く同じとは行かなくとも、似たような環境は作れるはずです。

 

 

 

ここからはさらに賛否分かれそうな意見なのですが。。私の意見です。

 

 

不登校支援の拡充はやるべきだと思っているのですが、それは一歩間違えたら不登校を推進するような取り組みに見えてしまうのではないかと危惧しています

 

・行っても行かなくてもどちらでも良いというわけではなく、

・学校は行けるんだったら行ったほうがいいけど、無理や我慢をしてまでいく必要はない。

ということ。

 

不登校支援を拡充して、「面倒だから」と学校に行かない人が増えるのはよくない。

 

学校に行ってる行ってないではやっぱり積める経験値の量が違うのは間違いないです。

 

 

そんなことも視野に入れつつ、今後の不登校支援は正しい方向に拡充して欲しい

 

 

 

今日はこんなところで。

 

 

津田ふみや

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Posted by mimi